『千年女優』

気力体力時間があまりないので、本日は自分用メモ日誌。
人に分かるように書く気少な目。
・・・そんな日もある。


千年女優


衛星でやってたのでこりゃいいやと観たアニメ映画。前から観たかったのです。
すごいよかった。
すごいと思うところが余りに地味で、そのこと自体もすごいと思う。
斬新さやオリジナリティにシビれるのではなく、スタンダードでなんだか「ありそう」なんだけど、その「ありそう」が他では「ありえない」であろう緻密さと質実さでもって作られた時に、こんなに人を唸らせるすごさになるなんて、すごいすごい、というかんじ。(ほら、人に分からない文になった。)
普通クリエイターとかアーティストって、新しいものとか、自分だけ個性とか、そういうものを追求して表現するもんだと思ってたし、それがないと「あーよくできてるねー」で感想終わり、ってな作品になりそうなもんですが、この映画はとにかく職人のような技術の果てに「よくできてる」の極みみたいな、質実剛健ですごいものが出現したのじゃないでしょうか。
たぶん監督(監督・原案・脚本・キャラクターデザイン)の今敏は、斬新なセンスや飛びぬけた個性が足りずに、長い間技術屋のようなスタジオミュージシャンのような仕事をこなしてきたんだろうなぁとか勝手に想像する。
スタンダードなよさゆえ、芸術か、と考えるとうーんと思うところはあるけど、一級品のエンターテイメントであることは間違いないんだからよし。

まぁ、やれ質実だスタンダードだと言ってるけど、物語の構成は凝ってるし複雑です。物語自体はやっぱりスタンダードなんだけど、構成がね。凝った構成、でもちゃんと分かる、というのは個人的に大好物なので、その点が僕の評価を上げているという面もあると思います。

と、思いつくまま書いてて思ったんだけど、この映画は劇中劇、映画の中の映画のようなものが頻出するので、スタンダードな表現、あえてありがちな表現、というのは物語上の要求として必須であるわけです。
監督のスタンダードな表現力を生かすことができる物語になっているわけで、そのへんも計算づくなんやろうなぁとまた感心するわけですが、もしかして、もしかすると、そういう物語だからスタンダードな表現を押し出しただけで、斬新な物語+斬新な表現という映画もこの監督は撮れちゃったりするのだろうかと、ちょっと思ったり。
なので、他の作品を近日チェックするつもりです。
いや、斬新な表現ってのもある程度そりゃやろうと思えばできるんだろうけどさ、技術力があるから。ただ、この人の魅力はやっぱりどこまでいってもスタンダードな細部に宿っているんじゃないかと予想しておるわけです。

「かっこいい!」「クール!」ではなく「うぬぅ・・」唸らされギュっと心を掴まれ泣かされるとてもよくできた良作だと思いました。

追記・スタンダードでよくできてる表現っていうのは画力と演出力ってことなんだと思います。話として粗を探そうと思えばわりと簡単に挙げられる。
劇中劇で虚実入り乱れるの狙いはよいとしても、初っ端、若い千代子が現実にその後の人生追い続ける男と出会う話からして虚構が混じってくるので、千代子の「実」の部分が見えづらく、その後全編通してその男を追い続ける千代子の物語なのに千代子に感情移入しづらい。
千代子という女優の人生の話で、「虚」を演じる女優という仕事だけでなく、現実の千代子も「虚」を求め何かを演じていたのだというのは、話としては分かるし、テーマにも繋がるんだろうし、あと感情移入より話の構成を見所に設定しているのもそうなのだろうけど、それでもやっぱり観てる間中、どこかひっかかったり、騙し騙しで進められているように感じてしまうというのは、合わない人には合わないかもしれない。
あと、往年の大女優にインタビューしたところ、女優の口から語られる半生に女優の出演した映画の話が混じって一大スペクタルになってしまう、というのが大筋で、女優の語る内容に虚実が入り乱れるのは分かるけど、その話の中にインタビュアーが積極的に登場してくるので、もちろんそれは映画を面白くする仕掛けなのだけど、インタビューしている現実と対応していなくて、論理的な辻褄は合ってないのも、なんか騙されているような気がして釈然としないかもしれない。
けど、そのへんを作ってる人も分かっていとか、参ったなぁとか思いながらごまかして作ってるのではなく、ちゃんと分かった上で、でもそこ気にするんじゃなくてこういう風に楽しんでください、みたいなのが伝わるので、それにノせられて楽しんで観るのが正解だと思うし、そうすればすごくエンターテイメントな内容。


気力体力時間ないとか言いながら、なんだこの長文は・・・。
たまにはこういうこと書いてみたい日もあるってことです・・・文章修行の一環という面も含め。