素晴らしく美しい自転車とバス停

友人の家でピザを食い、酒を呑む。お酒は第三のビールと呼ばれるアレで、まぁでもピザとあわせてとてもうまい。だらだらお喋りをして、居心地もよいのでなんとなく帰るタイミングを失してやや長居をしてしまったが、「じゃー帰るかな」とかゆって結局特にこれといったタイミングもなく帰ることにする。
お酒はそのビールもどきを1リットルかせいぜい1.5ぐらいだと思うし、そんなに酔ってもいなくて頭もしっかりしているのだけれど、友人の部屋を出てエレベーターを降りてマンションから一歩出たとたん、ピカピカに輝く自転車が目の前に止めてあってわぁと思う。わぁと思うもしかしそれは本当になんでもないただのよくある普通の自転車で、数歩歩いてその違和感に気付いてもう一度じっくり見る。やっぱり自転車はただの自転車で、新車でもなければピカピカに磨かれているわけでもなく、だったらその自転車を照らしているバス停の明かりか街灯の明かりのせいかという気がしてきて、今度はバス停と街灯をじっくりと見るのだけど、ちっとも普通で、新しくもなんともなくて、でもやっぱりなんかバス停や自転車のあたりがピカピカしているのは紛れもなくて、狐に化かされたような不思議な気持ちになる。
その友人宅は結構よく来てて、最近では2日前にもやってきた。絶対に何かいつもと違う何かが違う、なにかオープンしたての新しいお店のような雰囲気がそのバス停と自転車の辺りを包んでいて、凄く綺麗だ。
でも結局その原因は見つからなくて、諦めた僕の目に道路の向こう側のお店の明かりが飛び込んできて、それから道路を行きかう車とヘッドライトたちが通り過ぎていく。お店もちっとも新しくないし道行く車が全て新しいわけなどなくて、でもやたらとピカピカとしかまだ形容できない素晴らしい感じに溢れていて、そこでようやく、どうやら新しいお店がオープンしたわけではなく、このあたりに何か変化があったわけではなく、僕の目に映るすべての光が美しく輝いているようだと気付く。
少しの間目を凝らしてそのなんでもない風景がなんでこんなにキラキラしているのか考えるけど、自転車に乗った通行人が通りかかって今の自分はどう見てもかなり怪しいぞ、と思いなおして原付に向かう。ちょうどパトカーも通りかかって、飲酒運転する予定なので、原付よりまだ少し離れた地点でしっかり通り過ぎるのを見届ける。
数歩歩いて原付に到着すると、右のミラーがポッキリと折れたか折られたかして地面にさも当然のように落ちており、少し混乱する。停めてあるだけで普通折れることはないだろうと思って、何者かに折られた可能性を考えるとやりばのないムカツキがじわりと湧いてくるし、よく見ると、ほんのすこしだけ原付自体も停めた場所から動かされているようだし、そしてそういった状況は自分の周りが素晴らしくキラキラ美しいこの今には、まったくもって相応しくないと思った。幸せを実感する前の予兆めいたものを感じさせておいて、幸せの前に不幸を差し出すようなマネをして、一体ぼくをどうしたいのか。また少し漠然とした気持ちになってとりあえず原付にまたがる。ミラーは少し見て明らかに接続不可能だったのでトランクに収納した。
既に24時を回っており帰り道に車は少ない。原付はゆっくりとしたスピードで、相変わらず美しい色彩を急きょ獲得してしまった街並みにいちいち心打たれながら、空がやけに明るいけど月が見えなくて月を探したりもしながら、僕は考える。もともと季節の変わり目とかにはわりとたぶん敏感なほうで、そういうのを感じては意味もなく清清しい気持ちになってささやかに幸せを噛みしめちゃったり、単に自分のバイオリズムが躁的にハイに入っちゃってなんでもない青空や雲や空気にどうしようもなく多幸感を感じてしまったり万能感に満ち満ちたり、そういうことはときどきあるんだけど、今回のはちょっと違う。いや、違わないのかもしれない、やっぱり何か僕には説明できないだけで自然的なさまざまな要因がありうる範囲で重なり合って夕焼けの美しさや冬の遠くまでよく見える澄んだ空気のような心を打つ姿にたまたまちょっと見えただけかもしれない、あるいは僕の操作不能な情緒がまた変なスイッチの入り方をしてるだけなのかもしれない、とも思うけれど、なんにせよ起こっている現象が初めて体験するものであることは確かだ。とにかく、美しいのは光の作用であって、コンビニの電飾からマンションの電灯から信号機に到るまで、すべての光と光を受けた物質の陰影が完璧な彩りを放っていて、たぶん僕が写真とかそういうのに詳しければコントラストがどうとか明度がどうとか、きちんと説明できるのかもしれないけど、分かるのは単に目に飛び込むすべての景色が綺麗な写真のように輝いているということだけだ。少し酔っている自覚はあるけど、特別酔ってるわけじゃないし、躁的にハイになってるわけでもなく、わりと頭は冷静で、変に感動しすぎる程でもなく、やっぱり新しくオープンしたお店のピカピカな感じや、あとクリスマスなんかの街並みのイルミネーションのキラキラした美しさが近いな、と思う。
いくらスピードを落としていても夜の道を10分も走ればあっけなく家に着いてしまって、ぼんやりと勿体ないような気もしつつ、でもわざわざ外を走り回るほどおかしなテンションだったわけでもなく、警察もこわいし、至ってクールに自分の部屋に帰り着く。部屋でも、やっぱり妙な輝きは失われてないのだけど、のっぺりと蛍光灯に照らされる狭い部屋は、やはり外よりも美しさは俄然少ない。それでもよくよく観察すると、ゴミ箱を狙って外した丸めたティッシュや隅にたまった綿埃まで、映画のセットか何かのように、意図的にそこに配置されたのだというような説得力のある佇まいで、やっぱり完璧に美しい。
路上を走るのとくらべて風景に変化がないので、もうしっかりと意識的にそういう風に見ようとしなければ普通にいつもの状態に見えてしまうけれど、ちょっと意識すれば今打ってるノートパソコンのモニターの光やキーボードや青白い腕はまたキラキラした輝きを取り戻す。
実はここまで書く途中で一度寝てしまって、今は外も明るくなってきていて、お酒もぬけてきていて、あの美しさは薄れてしまっていることを実感する。今意識して少し感じることができるのは、まだありありとあの感覚を思い出すことができるからであって、たぶんきっとこのまま元通りの日常に戻るのだろうと思う。いつまで思い出すことができるのかは分からない。果たして酔っ払っていただけなのか、いつかまた同じような感覚に陥ることがあるのかどうかも。
でもあのなんの変哲もなかった自転車とバス停に心動かされた瞬間の言葉にならない素晴らしさは、たとえ酔っ払いのたわ言であっても頭がおかしくても、ぼくには絶対だ。あんなに不思議に綺麗なものは見たことがない。
第三のビールでクスリでもやったかのような体験をする自分は幸せものだと思う。
あと頭はおかしくないので大丈夫です。いやほんとだって。